こんにちは!
棚田キッチン~KitchenStusioN~のシェフ、久保田です!
もうすぐお盆ですね!
長崎のお盆は爆竹を爆発させまくります。
どのくらいかって?
とりあえず1日で日本の爆竹年間総使用量の二分の一使ってしまいます。
どんだけやねん!
さて。
「近い未来、人間が増えすぎて食べ物が足りなくなる。
なので、牛肉の細胞を人工培養して肉を作ってしまえば食料問題は解決する。」
そんな発想から研究が進んでいるクリーンミートと言われる培養肉。
需給が拡大することでの環境への良いゲームチェンジャーになることは想像できます。
水と化石燃料を大量に消費せず、病原菌とも無縁、動物愛護思想とも、とても相性が良い。
でも培養肉は人工培養であって天然素材ではありません。
家畜とも養殖とも違う培養肉。
これって人類にとって、どのような存在たり得るんでしょうね?
生き物は他の生き物を食べて命を繋いできました。
山に篭ると、その光景は日常で、毎日命のやりとりを目の前で見る事ができます。
しかも「自分の番はいつかな?」とか容易に自分の事として考える事ができます。
命とは他者の命を奪って続いていくのが原理原則です。
この星の道理でも有ります。
その意味では、都市型の生活はあまりにも「死」という事象から切り離された文化圏ですね。
とにかく「死」から切り離し、目の届かない場所に追いやる。
だから「循環」の本質的な意味からも遠いのかも知れません。
全ては「動的平衡」なんですけどね。
まぁ、今回は培養肉の話でしたね。
この培養肉がスタンダードになったら、どんな未来が待っているのでしょうか?
培養肉...これは果たして「食べ物」なんでしょうか?
命を食べて命を繋ぐとかどういうことなのかを理解するためには「命とは何か?」を考える必要がります。
言語化は非常に難しいですが、「栄養」として摂取してカロリーとビタミンと、とかの話しか出ていなくて、生命体として何か大切なパーツを失いそうな予感がするんですよね。
そこには命に対する感謝も無ければ、ヒトがヒトたらしめる、神々や目には見えない畏れに対する信仰等も無くなるかも知れなせん。
フィクションを信じなくなる時点で現人類は従来のホモ・サピエンスでは無くなる。
では、その先に待つものは一体なんなんでしょうね?
私もそのうち「クリーンミート、うまっ!!」
とか言っちゃう日が来るんですかね。
最先端の食の事情は保守的な私には違和感しかありません。。