たまには難しい事を書いてみる。

たまには難しい事を書いてみる。

これから書くのは私の独り言です。
特に深い意味はありませんので悪しからず。

さて。
最先端のビジネスの世界において農と食とは、大地からの分離と農業の工業化がメインストリームのようです。

今までの農業や食の世界は机上の経済学や数学的学問の視点だけで解き明かせるものではなく、台風や大雨、大雪や日照りによる雨不足など予測不可能な変数だらけの自然環境と密接に関わるが故に工業化と資本主義的な貨幣変換が未だに難しく、不安定ながらもやりくりして来た資本主義社会の現在でも、その業界は今でも未開の地です。

気候変動対策や動物倫理の観点から家畜を減らし、メタンなどの温室効果ガスの削減を達成しながらも安定的に食糧を獲得する技術として、土を使わず、LEDで紫外線をコントロールし植物を安定供給する植物工場、昆虫食という新天地を開拓し効率的に人間の生命を維持するのに必要な栄養素を得る挑戦、クリーンミートと呼ばれる食味を限りなく本物に近づける培養肉などが挙げられますが、それらは決定的に人間と大地を切り離し、旧来の人類が紡いできた歴史と文化を決別させ、同時に人間の管理下に起きやすい環境を整えた事により、資本主義化が急速に進行するように感じています。

その方向性については賛否両論ある筈なのですが、なぜか表向きには賛成の意見しか出て来ません。

そんな時、私はどうしても逆サイドを見て考えてしまうのです。

 「自然」というのは有機的であり、それはみんなが大好きなオシャレで清潔なカフェのようなイメージとは全く異なります。
「生きている」訳ですから、食物連鎖が常にグルグルと起きていて、食べる事と排泄する事と、生まれる事と、死ぬ事と、分解者が様々なニオイや物質を出しながらウネウネとしているバランスが取れたサイクルの状態の事です。
その事をサステナブルと呼びます。

この「自然の営み」を考えた時、今起きている最先端の食の世界はアンコントラブルの領域を極力排除し、分業と細分化し、自分の掌の上で管理する小さな世界の領域を拡大しているようです。
(書いててなんか全然サスティナブルとは程遠い世界な気がして気がしますw)

そこに今からAIの力がアクセラレートしてきます。
理屈やデータを駆使して人類が自然を屈服させる時が来るのでしょう。
(この場合は「切り取った世界」の自然を屈服させる、という事でしょうけど。)

しかしここまで世界の循環や理を細分化してしまうと、また人類は全体の相互作用を忘れてしまう気がします。
それは自然への敬意や畏怖や感謝を忘れる事と等しい気がしてなりません。

最近マルクスが流行っていますけど、それとは逆行しているように感じるのは私だけでしょうか?

いやー。何か大切な原理原則を置き去りにしている気がするんですよね。


古い記事