花房和牛と出会ってからコーン臭やストレス臭が分かる様になり、自然と霜降りは使わなくなりました。
それから程なく「経産牛を再活用したい。」とJA五島の営業部長さんから打診があり、五島経産牛プロジェクトに加わる事になりました。
その時、自分は29歳。
20代最後の挑戦でしたので力が入っていました。
当時は月休1日で仕事をしていたので、仕事が終わると3時間睡眠で五島行きの船に乗りグワングワン頭の中が揺れながら現場に向かっていたのを覚えています。
今やったら死にますねw
ちなみに当時は経産牛はただの廃牛的な扱いでしたので、このプロジェクトはJA五島のトップにはシークレットでコソコソとやっていました。(ここに書いて大丈夫?)
見つかれば部長達の首が飛ぶというデンジャラス極まりないミッションです。
福江港に着くや否やキャップ棒を被った部長達に手招きされ車に乗り込み、公民館に移動。
そこで畜産試験場の方々と意見交換し、餌や月齢等を話し合ったと思います。
その後はいろんなセクションを見学させて頂いて、本当にお世話になりました。
園芸部長、元気にしてるかな?
特に記憶に残っているのはパプリカのハウス栽培です。
天井がセンサーで気温を感知して自動開閉し、水耕栽培で五島の土を砂漠化させない取り組みでした。
今では五島のブランドになっていますね。
肉厚で甘くて立派で美味しいんです。
本当は怒られるんですが特別に採って齧らせて頂いたのですが、一生忘れないと思います。
そんなこんなで五島に通う日々が始まるのでした…